今年度の活動

2015.2.21.千葉県日独協会2015年新春講演会ならびに懇親会が開催されました

<挨拶する宗宮会長>

<橋口副会長(左)と司会役の杉田事務局長>

<講演中の黒川剛大使。演題は「二つの大戦と日独関係」です。「対戦」は事務方のミス>

<懇親会で挨拶される黒川剛大使>

<平尾浩三名誉会長もお元気な姿を見せられご挨拶>

<和気あいあいの懇親会>

<中央左から黒川大使、当会名誉会員の臼井日出男元防衛大臣、笹生健司千葉県国際交流協力室長>

<千葉大学ドイツ人留学生とホストファミリー安藤ご夫妻>

<千葉大学ドイツ人留学生と宗宮会長>

2014.11.16. 千葉県日独協会主催20周年記念のドイツ軍人追悼慰霊祭を開催

「今年は第一次世界大戦の開戦から百年の節目で行われる慰霊祭で、その重要性がより鮮明になります」(ドイツ大使館公使)。11月16日、船橋市営習志野霊園の「ドイツ軍人追悼慰霊祭」に参列した来賓の各氏は永年続けられてきた慰霊祭の歴史的な意義と平和への願いを次々に訴えた。

この日午前11時。快晴。気温12.4度。北北東の風1.8m。当協会が主催して20周年になる慰霊祭は杉田房之事務局長の開式の辞で静かに始まった。霊園の一角にドイツ、日本、そしてロシア兵の戦没者の慰霊碑が並んで建つ。白菊が供えられ、お線香の煙がたちのぼる。ドイツ連邦共和国大使館からS・ヘルツベルク公使、C・ブッシュ武官ら来賓はじめ、当協会会員70人を超える参列者が詰めかけた。中でも、2年ごとにドイツ各地で演奏会をしているという県立千葉女子高のオーケストラ部員6人が山岡健先生に引率され初めて参加したのが目を引いた。

黙とうに続き、当協会の宗宮好和会長が第1次世界大戦と習志野俘虜収容所の歴史を顧みながら追悼の辞を始めた。会長は収容所の兵士たちの生活態度や地元の小学校教諭、児童との交流、友情などをドイツ語、日本語で区切りよく話した。「異国で倒れた方々のご冥福を祈り、全地球上に平和の訪れんことを切に願いつつ、シュバルツバルトよりこの庭に植えられたドイツカシワの下の佇むのです」と、続けた。

習志野第九合唱団16人によるドイツ国歌に続き、ドイツ公使ら来賓が厳粛な面持ちで追悼の辞を次々に述べた。

◆ドイツ大使館公使Stefan Herzberg氏=今年の慰霊祭は第一次世界大戦開戦100年目という節目の中で実施されています。当時、互いに敵として戦った日独の兵士のことを思いやる時、このような慰霊祭の重要性がより鮮明になります。慰霊祭は歴史を思い起すことであり歴史に責任を持ちこのような歴史は二度と繰り返さないという戒めでもあります。この慰霊祭の維持に貢献され、亡くなった人たちへの思いを持ち続けておられる皆様には心からお礼を申し上げます。

◆千葉県知事代理総合企画部次長板倉正典氏=本年は第一次大戦の開戦から百年目の年に当たります。わが国とドイツ両国は二度にわたる大戦の後、平和を願う国民の英知とたゆまぬ努力により荒廃の中から立ち上がり、世界に類を見ないめざましい発展を遂げてまいりました。国と国とが対立する中でも過去この地においてドイツ将兵の方々と県民との間に温かな心の通い合いが生まれたという事実は私たちに多くのことを教えてくれるものです。

◆船橋市長代理副市長山﨑健二氏=第一次世界大戦が終結してから96年、私たちは戦争を振り返る手だてが必要です。戦争がもたらす悲劇を思い起して、平和の大切さを確認し合うことが大切であると考えます。・・千葉県日独協会のご尽力で続けられている慰霊祭は、日独両国の友好はもとより世界平和を築く上でも大きな意義をもつものであります。

◆習志野市長、同市教育長代理社会教育課長上野久氏=銃剣を交えた悲しむべき過去を持つ国同士が平和と友好を育めるのもかって、の地で同じ景色を眺め同じ空気を吸った者が「国」を超え「人」として交わり、そこに芽生えた共感があったからに違いありません。平和が渇望されている今こそ、我々はその歴史を紐解き次世代に語り継ぐことが異国の地でお亡くなりなった方々への最大の供養であります。

約1時間にわたる慰霊祭を終えて参列者が記念撮影に収まった。この後、自衛隊第一空挺団の隊舎で31人が参加して直会(なおらい)が行われた。
今年は協会主催20周年の節目にあたるため、空挺団の協力を得て当協会の活動をはじめ、習志野俘虜収容所のドイツ兵たちの生活などを伝えた写真パネル104枚が会場に展示され、ドイ連邦共和国大使館公使、武官ら多くの参加者が興味深く見入っていた。

2014.8.30. ビール祭りがドイツビアレストラン「マイネクライネ」(東京・蔵前)で開催されました

<飾り付けの賑やかなお店で>

<当協会コア・マイスターの二宮さんの指導で全員合掌。>

<コア・マイスターの二宮さんは自前の三色ベスト>

<全員が声をそろえて>

<カウンター席も満杯>

2014.8.22. ドイツの若い奨学生との交流パーティ

ドイツから若い奨学生を迎えて8月22日開かれた千葉県日独協会のホームパーティーは、ことのほか盛会だった。
デュッセルドルフ市は千葉県と友好関係にあるが、今回の奨学生はデュッセルドルフ独日文化交流育英会・同 独日奨学財団が企画した2014年度「Japan erleben(日本体験)プログラム」によるもので、滞日期間は8月19日から9月14日まで。「日本の国際化」を主題に、各奨学生が「日本の法律制度」「日本の政治制度」「日本の美」「日本の建築」「日本のポップカルチャー」「日本の交通システム」「日本の宗教」「トヨタ生産システム」「日本の首都の歴史」をレポートする。習志野と同様に第一次大戦の板東俘虜収容所があった徳島県鳴門市や直島も訪れる。

奨学生たちは来日2日目の8月22日、千葉県のレセプションで森田健作知事らと歓談、サッポロビール工場(船橋)などを見学した後、当協会理事伊東惇子さんのお宅(船橋市)に招かれた。
協会側の宗宮会長はじめ、橋口副会長、伊東さん、運営委員ら12人が出迎える中、奨学生は疲れも見せず、日本の家庭に興味深々の様子。県から笹生健司・国際交流室長、新垣南帆・主事らも同行し、総勢21人が協会“迎賓の間”となったリビングルーム“に顔を揃えた。

宗宮会長は、研修生が訪問する徳島県板東と習志野の俘虜収容所に触れて「第一次世界大戦で日独両国には悲しい歴史があるように見えますが、必ずしもそうではありません。ドイツ人俘虜と住民の間に真に人間的な交流がありました。皆さんのひいおじいさんにあたるドイツの人びとから日本は音楽、スポーツ、技術の他さまざまなことを学ぶことが出来たからです」
と述べた。また、会長は「ここ習志野でも約1000人のドイツ兵の俘虜を収容した収容所があったのです。習志野も鳴戸の状況も同じだったようです」と話し、「研修中は伝統的な日本と、新しい日本をよく知っていただきたい」と奨学生に呼びかけた。

笹生室長の音頭で乾杯!体格のいい奨学生たちは豪快にビールのコップを傾けた。テーブルには伊東さんや橋口副会長の娘さんたちが腕を振るった十数種の料理がズラリと並ぶ。牛肉とピーマンの甘辛炒め、薄いお醤油味のダシ汁に漬けたナス、トマトと夏野菜のサラダの数々。ローストビーフ、豆腐サラダや特製サンド、おにぎりなど。皆、箸を器用に使いながら皿に盛り、日本の家庭料理を堪能していた。

人気の中心は、奨学生を引率して来たPia Tomoko Meid (ピア智子・マイト)さん。ドイツ人を父に、母が日本人の智子さんはほがらかで、当協会幹部も顔見知りが多い。典型的なバイリンガルで、奨学生たちにテキパキと必要な訳を伝えていた。歓談と食事の合間をぬって、智子さんが司会をしながら、奨学生たちが自己紹介と来日の意欲を語った。

◇レァ・シュルツディーヴェノウ (Lea Schulz Dievenow )さん 23歳
デザイン&クラフトアカデミー ガラス成形師。
「職業訓練所で、ガラス加工を勉強した日本人と知り合いになった。その友人のお蔭で日本に興味がわきました。今はプロダクトデザインを勉強していて、その中で日本との接点があります。とくに、安藤忠雄からはいろいろと刺激を受けました」。ステンドグラスも手掛けていると言い、「日本のショーをベースにカラフルにドイツの教会を描いてみたい」。

◇ゾンヤ・バベル(Sonja Babel)さん 23歳
ハインリッヒ・ハイネ大学修士課程・物理学専攻。
「デュッセルドルフにあるハインリッヒ・ハイネ大学で物理学を学び、日本語も勉強しています」と言ったところで、せかされて日本語でスピーチするはめに。はにかみながらも「日本語はとてもきれいな言葉です。デュッセルドルフ市には日本人がたくさん住んでいますから、街でも日本語を聞くことができてとてもきれいだと思います」と、スムースに話していた。早稲田大学高等学院などで研修する。

◇ヤーナ・ボォルガー(Jana Börger)さん 21歳
ドルトムント工科大学学士課程・物流科学専攻。「オスナーブリュック出身ですけど、ドルトムントの大学でロジスティックスの勉強をしています。このコンセプトは元々、日本のトヨタから来ていることに気付いて、日本ではどういう風にロジスティックスを実際に使っているのかを勉強したいと来日しました。トヨタで勉強できることになりましたので、かなり深く見ることができるのではないかと思っています」と、期待を語っていた。

◇アラベラ・エルアリ(Arabella El-Ali)さん 27歳
フランツ&パートナー法律事務所法律専門職。「7年前から(デュッセルドルフの)独日協会フランツ&パートナー法律事務所で仕事をしています」。引率してきたマイト・ピア智子さんが「協会としては彼女にとても助けられています」と説明を加えた。ドイツの法律事務所では、事務だけではなく弁護士の仕事を全面的にサポートする仕事があり、アラベラさんはその専門家。日本にはこれに該当する仕事はないが、これからの独日交流を考えて、人柄もあり奨学生に選んだ、と智子さんが話していた。

つづいて、男性2人が自己紹介に入った。

◇アンドレアス・デーゲン(Andreas Degen)さん 27歳
EBZビジネススクール・不動産マネージメント専攻。日本のポップカルチャー部門で活躍。「ボンの出身です。現在、ボッフォム大学で不動産経営を勉強しています。それとは別に、5年前から友達と一緒にイベントを開催しています。これは2日間だけ日本のポップカルチャーに興味ある人を集めてメッセという形で皆が交流できる場を提供しています。舞台でいろいろなイベントをしたり、(物品を)購入したり、着物を体験するコーナーもあります。アニメ、マンガの吹き替えをどうやってやるのかとか。アニメ、マンガ、コスプレ、ファッション、さらに最近はダンスとか、そういう仕事をしています。就職に関わる情報も提供するなど幅広くやっています。

◇ベネディクト・ディートリッヒ(Benedict Diedrich) さん 24歳
コブレンツ大学・応用物理学専攻、電気技師。194センチの長身。
「ケルンに住んでいます。電気工学の一部として応用物理学を勉強しています。ニコンで研修できることになり、願いにピッタリと喜んでいます。中国には何回か、旅行はしたけど、日本に来たことはなかった。しかし、日本にも興味があります。今回の研修の後、中国に寄って帰ります。ここに招待してくださいましてありがとうございます」

女性の奨学生が歓声をあげたのは、伊東さんが特別に用意した“浴衣体験”。伊東さんらの着付け指導で好みの柄や帯でビシッと決め、大はしゃぎ。カメラにポーズ、裾を押さえながら、体を回わしたり。長い脚を曲げて伊東師匠による即席のお点前指導にも神妙な表情だった。

その後、ビールやワインなどで顔を上気させながら、会員と奨学生たちはドイツ語、英語、日本語を時には交えて談笑が続き、2時間の宴はあっという間に終わった。

<記念写真に、参加者がにこやかに>

奨学生たちの勧進元である独日文化交流育英会のミュンヘ事務局長から2日後に丁重なお礼のメールが届き「奨学生たちはあの夜、大変楽しく過ごした、と聞きました。あなた方のおもてなしは彼らを感動させ、忘れ難いものになったでしょう」と、記されていた。

ドイツ語の礼文は次の通り。

Sehr geehrter Hashiguchi,

haben Sie ganz herzlichen Dank für den Empfang unserer Stipendiaten und die wundervolle „Home Party“ bei Ihnen in Chiba letzte Woche. Ich habe gehört, dass die Stipendiaten den Abend sehr genossen haben. Ihre Gastfreundschaft hat sie alle sehr beeindruckt. Sicher wird das Treffen für sie unvergesslich sein und ihren Eindruck von Japan nachhaltig beeinflussen!

Nach ihrer Rückkehr nach Deutschland werde ich mir noch ganz genau alles berichten lassen. Wennes für Sie von Interesse ist, schicke ich Ihnen beizeiten gerne den Abschlussbericht des diesjährigen Programms zu.

Also nochmals: Ganz herzlichen Dank an Sie und die Japanisch-Deutche Gesellschaft, und wir würden uns freuen, auch in Zukunft einmal wieder zu kooperieren.

Beste Grüße,
Julia Münch
Geschäftsführerin
Studienwerk für Deutsch-Japanischen Kulturaustausch in NRW e.V.

2014.8.10 (当協会後援)JOINT CONCERT「愛の憧憬」開催

台風11号の接近での悪天候もかかわらず美浜文化ホールの会場(354席)はほぼ満席の聴衆で埋まった。ドイツを中心に欧州で活躍されている松本佳苗さん(ソプラノ。当会会員松本恭子さんご令嬢)は、日本歌曲、イタリア・ドイツオペラ等の独唱と、恩師リカルド・バルトラ氏(テノール)との息の合ったデュエットを織り交ぜて、同じくドイツで活動されているピアニスト宮路なつのさんの伴奏で透き通った声で朗々と表情豊かに歌い、2時間半が短く感じられる素晴らしいコンサートで客席を魅了し、2曲のアンコールで盛大な拍手に答えられた。当会関係者も十数名が会場を訪れた。

2014.7.8 (当協会後援)「日独友好紫陽花メモリアルコンサート」開催

主催者近藤貴子さん(当協会員)の自宅を会場として開催された。来客約60名強。当協会関係者は橋口副会長他7名。内藤敏子さんとTonny Kyrion氏のチター、Hana Fabryさんの歌唱、高山聖子さんのサウルハープ(小型ハープ。特別参加)による演奏会は、ドイツ、チロル地方のすがすがしい雰囲気の音楽を奏でて、最後には演奏に合わせて全員での「夏の思い出」「ふるさと」の合唱で盛り上がった。

2014.5.10. 年次総会開催

2014(平成26)年度の当協会年次総会が5月10日の土曜日午後2時から、西船橋・「フローラ西船」で開かれた。今総会には、会員135人のうち、41人(委任状69人)が出席した。
開会の辞、日独両国の国歌斉唱の後、宗宮好和会長が挨拶に立った。

同会長はまず、2013年度の1年間にわたって行われた当協会の行事、特別行事が滞りなく、且つ活発に行われたことに謝意を表した。ドイツの独日協会連合会がことし創立50周年を迎え、日本から各協会が参加する予定だが、宗宮会長は当協会から橋口昭八副会長が代表で参加することを報告した。新年度の活動について、同会長は「若い、新たな会員の募集」を課題に挙げて、会員の協力を求めた。わが国やドイツの各協会でも会員の高齢化が徐々に進んでおり、組織の維持と活動のさらなる活性が求められている。このため、宗宮会長は「千葉県日独協会に行けば、ドイツ人とその若者や会員たちと楽しく話し合いができる。当協会をそのような『交流の場』にしたい」と、新たな活動目標を示した。地元の千葉大学には、毎年5~6人のドイツ人留学生が来日している。JR津田沼駅から近いサッポロビール千葉園で昨年12月7日行われた当協会の「ビール祭り(クリスマス&忘年会)」には、その留学生男女2人が参加し、大いに盛り上がったが、会長はその経験を例にあげて「ドイツ人留学生たちに、私たちの活動、交流の場に加わっていただき、若い会員を増やすきっかけにするとともに、現会員の活発な活動の刺激にしたい」と述べて、注目された。
また、宗宮会長は当協会の会員の中で60歳、ないし65歳を越えて一線を引退された会員が「一人でも多く、協会の活動に加わっていただきたい」と話し、「そのための企画をできるだけ考えていきたい」と語っていた。

次に、議長に金谷誠一郎専務理事を選出し議事に入り、2013(平成25)年度の事業報告、同決算及び会計監査報告、さらに2014(平成26)年度の事業計画(案)、同収支予算案、次期役員及び次期運営委員がそれぞれ承認された。

総会閉会の後、五倫文庫理事長(当協会会員)、伊藤良昌氏による「五倫文庫の由来と活動」の講演(後段、詳掲載)があり、懇親会で和やかなひと時を過ごした。

講演「御宿町 五倫文庫の由来と活動」

総会後、五倫文庫理事長の伊藤良昌氏が「御宿町 五倫文庫の由来と活動」をテーマに約1時間、記念講演を行った。

伊藤氏はまず、「私たち、そして『五倫文庫』とドイツとの関係を話さないと、なぜ私がここに立っているかがわからないと」と、切り出した。同氏は、実父で日本のレーダー技術開発の先駆者であった伊藤庸二氏が東大を卒業後、海軍の技術大佐としてドレスデン工科大学に留学し、甥のために翻訳した「ぼうぼうあたま」(ハインリッヒ・ホフマン;Der Strummelpeter)のエピソードを紹介しながら、伊藤家とドイツの文化的繋がりを説明した。伊藤氏によると、「五倫文庫」とドイツとの繋がりが一つの「核」だという。

講演で、伊藤氏は御宿町の概要、スペインの帆船「サンフランシスコ号」が1609(慶長14)年、スペイン領フィリピンからメキシコに向かう途中御宿沖で台風に遭遇し沈没したことに触れた。この中で、同氏は、ドン・ロドリゴ提督の足跡、その後スペイン国王の命で使節団が答礼に日本を訪れた経緯を説明し、「わが御宿町が関わった歴史に残っていることを誇りに思う」と、述べた。さらに、1613(慶長18)年、伊達政宗の「慶長遣欧使節団」(団長、支倉常長)はこのロドリゴとの関係から出てきているのだが、徳川300年の鎖国の中で「完全に忘れ去られてしまっている」のだ、と指摘した。1874(明治6)年、岩倉具視らが欧州へ行った時、支倉やサンフランシスコ号などの影響で、厚遇された。「日本はアジアの中でも違うのだ」と。

「史実に基づいて、現地に記念碑をたて後世に伝えるべきである」と、勝浦市出身の藤平権一郎が1928(昭和3)年に「日・西・墨三国交通発祥記念の碑」をたてたことを伊藤氏は紹介し、その工費はスペイン、メキシコ政府、各界の寄付に依ったという。高さ17メートルの記念碑は太平洋戦争でB29の目標になったため、黒く塗りつぶされたこともあった。同氏はこうした歴史と関係者の努力の積み重ねがあって、姉妹都市の提携など御宿町とスペイン、メキシコとの交流が今日でも盛んに行われるようになったことを話していた。

メインテーマである「五倫文庫」について、伊藤氏は文庫や御宿町の発展も『台風』が深くかかわっている点を指摘し、会場を驚かせた。この台風は1902(明治35)年9月28日、2つ重なって房州の布良(めら)に上陸し、列島を縦断していった。軍艦が座礁したり、渡良瀬川が氾濫して足尾鉱毒の発端が明らかになる。房州各地の惨状は目に余るものだったという。御宿町でも、小学校が倒壊した。このため、同町ではお寺や神社などに分教場を8か所作り、子どもたちを分散して収容していった。この時代は日英同盟が結ばれ、日露戦争があった。房総の村では(台風の惨禍から)なんとか立ち直ろうと、伊藤氏の祖父鬼一郎らが1908(明治41)年、「五倫(厘)日掛け貯金」を始めて1912(明治45)年まで続けた。その結果、7860円90銭が集まったが、インフレで(校舎建築費には)間に合わない。そこで、「五倫(厘)」を倍にして「一銭日掛け貯金」を継続し、さらに7199円60銭を蓄えて、寄付金を加えた合計3万円を集めた。11年目のことだった、という。こうして御宿町は自分たちのお金と手で、自分たちの小学校を建てた。

伊藤氏はこの校舎建設について「美談のように言われてはいるが、(それを可能にしたのは)当時の社会が良かった」と振り返り、「皆が手を加えないとできないという自然にひれ伏した生活をしていた」からだと、強調した。それは「皆が納得するものがどこかで出来上がるということ」「粉骨砕身、志しある人がリーダーになることが当たり前だということ」と、説明した。

(御宿町で倒壊した)小学校の再建に触れ、1914(大正3年)、16,000㎡(4900坪)の土地に、2400㎡(740坪)の校舎が建った。台風から12年後のことだった、という。 こうして町民たちの熱意で集まった3万円(大正3年頃)は現在の価値でどのくらいか、を伊藤氏は説明し、「5厘=50円」と仮定すると、第一次、第二次預金で計1.24億円、寄付金を含めて約2.4億円。当時と現在の米の価値に換算し直してみると、現在の価値で約1億円。同氏は、これであれだけの小学校が建つか、と疑問を持ちながらも自身の母校でもある小学校を誇りに思い、嬉しいと述べていた。

明治から今日に至る御宿町の教育史、学校の変遷をたどった後、伊藤氏は「五厘は五倫に通ずる」と「五倫文庫」の歴史的エピソードを話し出した。「五倫文庫」は、1872(明治5)年の学制発布以来の初等教育、戦後は中学校まで使われた教科書を納めた文庫であるが、御宿町を当時訪れた佐倉連隊司令官、黒田善治陸軍少将が小学校の野営地で祖父鬼一郎から聞いた「五厘掛け貯金」の話しに感激し、「五厘は五倫に通ず」と自ら揮毫し、彫った扁額(高さ45cm、横120cm)を贈ったのだという。「五倫」は儒教でいう君臣の義、父子の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信を指す。

ここで、伊藤氏は黒田少将による扁額と祖父がその後取った行動について、感慨を込めてエピソードを語った。この扁額には“伊藤鬼一郎主導による・・・”などと祖父の名前が記されていたという。祖父鬼一郎は「私一人がやったのではない。町民自らが全員やったのであり、この扁額を是非とも後世に残したいので、私の名前を削ってほしい」と、佐倉へ同少将を訪ねて頼んだのだという。伊藤氏はこの話しにはいつも“涙が出る”と言い、「まったくその通りだと思う。この時代はあの『坂の上の雲』を見ながら正岡子規や秋山真之だけでない皆が歩いて行った。そういう時代だった。日本にはそういう土壌があるのですよ」と、述べた。

続いて、伊藤氏は本題の「五倫文庫の発足」について話しを進めた。当時、御宿小学校の校長だった祖父鬼一郎は1892(明治25)、比較研究のため小学校教科書の収集を始めた。国定教科書で(採択の違いによる)差はなかったが、後に台湾、朝鮮、満州の日本語学校や同氏の父庸二のドイツ留学もあって、さらに欧米アジアの教科書の収集へと拡大していったという(現在、世界約70か国、32,000冊)。この「五倫文庫」創始の精神は「我々人類の最高目標とする共存共栄という課題は初等教育において深く、かつ本格的に児童の心にうえつけられなければならない」、つまり子どもの時の教育が重要だ、ということだった。1953(昭和28)年、財団法人の認可を受ける時の精神でもあり、2013(平成25)年に一般財団法人として新たに千葉県から認可され、今年は創設122年目にあたる、という。

今日の活動に触れた伊藤氏は、データベース化が進む中で同文庫が集めた図書の「持っている価値」が薄くなったと指摘し、図書の所持や分類などを今後どうするかが大きな問題であることを示唆した。同文庫は現在2つの活動を行っているとして、①小学校低学年を対象に、ドイツの幼児向け絵本である「ぼうぼうあたま」の紙芝居口演を実施しており、今年で10年目になる②同高学年、中学生を対象に毎年秋に読書感想文、ポスター、標語のコンクールを行い、13年目を迎える。この入選作品は町内の郵便局、漁業組合、農業組合に掲示しているという。さらに、機関誌「五倫」を年に一回発行し、34年になる。同氏はこれらの活動をパワーポイントで写真や持参した敗戦前後の教科書を示しながら、若い人の育成に同文庫の活動に大きな力を入れていることを強調していた。

最後に、「五倫文庫」とフランクフルトにある「ボウボウアタマ博物館」との姉妹提携を披露した。
「ぼうぼうあたま」は伊藤氏のドイツ留学中に父庸二氏が甥のために翻訳した(1936=昭和11年)ことで知られているが、伊藤氏の弟(光昌氏・当協会会員)がドイツ滞在中の1973年、ベルリン大学時代の友人から同書の日本語訳をさがしているドイツ人がいることを知らされた。これを機に、復刻版が出版(1980=昭和55年)され、御宿町とフランクフルトの博物館が交流を深めていった。町長や博物館の相互訪問も行われた。2011(平成23)年では在日ドイツ大使館から「日独交流150周年」を記念して150本の菩提樹が贈られ、当協会が協力して千葉県内のドイツ所縁の地に植えられたが、御宿小学校、布施小学校、五倫文庫にもそれぞれ記念に植樹されて、両国交流の輪とともに大きく育っている、という。

伊藤良昌氏:1980年 株式会社光電製作所社長。1985年 株式会社ハーモニックドライブシステムズ取締役。2004年 光電製作所会長。2008年 一般財団法人五倫文庫理事長